令和6年-問5 憲法 精神的自由
Lv3
問題 更新:2025-01-10 00:43:57
教育に関する次の記述のうち、最高裁判所の判例に照らし、妥当でないものはどれか。
- 義務教育は無償とするとの憲法の規定は、授業料不徴収を意味しており、それ以外に、教科書、学用品その他教育に必要な一切の費用を無償としなければならないことまでも定めたものと解することはできない。
- 教科書は執筆者の学術研究の結果の発表を目的とするものではなく、また、教科書検定は検定基準に違反する場合に教科書の形態での研究結果の発表を制限するにすぎないので、教科書検定は学問の自由を保障した憲法の規定には違反しない。
- 公教育に関する国民全体の教育意思は、法律を通じて具体化されるべきものであるから、公教育の内容・方法は専ら法律により定められ、教育行政機関も、法律の授権に基づき、広くこれらについて決定権限を有する。
- 国民の教育を受ける権利を定める憲法規定の背後には、みずから学習することのできない子どもは、その学習要求を充足するための教育を自己に施すことを大人一般に対して要求する権利を有するとの観念が存在している。
- 普通教育では、児童生徒に十分な判断能力がなく、また、全国的に一定の教育水準を確保すべき強い要請があること等からすれば、教師に完全な教授の自由を認めることはとうてい許されない。
正解 3
解説
義務教育は無償とするとの憲法の規定は、授業料不徴収を意味しており、それ以外に、教科書、学用品その他教育に必要な一切の費用を無償としなければならないことまでも定めたものと解することはできない。 1.妥当である
憲法26条2項でいう「義務教育は、これを無償とする。」について判例は「憲法の義務教育は無償とするとの規定は、授業料のほかに、教科書、学用品その他教育に必要な一切の費用まで無償としなければならないことを定めたものと解することはできない(教科書国家負担請求事件:最大判昭和39年2月26日)。」としている。
なお、義務教育用教科書は「義務教育諸学校の教科用図書の無償に関する法律」等によって、無償となっている。
教科書は執筆者の学術研究の結果の発表を目的とするものではなく、また、教科書検定は検定基準に違反する場合に教科書の形態での研究結果の発表を制限するにすぎないので、教科書検定は学問の自由を保障した憲法の規定には違反しない。 2.妥当である
「教科書は、教科課程の構成に応じて組織排列された教科の主たる教材として、普通教育の場において使用される児童、生徒用の図書であって、学術研究の結果の発表を目的とするものではなく、本件検定は、申請図書に記述された研究結果が、たとい執筆者が正当と信ずるものであったとしても、・・・旧検定基準の各条件に違反する場合に、教科書の形態における研究結果の発表を制限するにすぎない。」
「教科書検定は学問の自由を保障した憲法23条の規定に違反しない(家永教科書訴訟:最判平成5年3月16日)。」
公教育に関する国民全体の教育意思は、法律を通じて具体化されるべきものであるから、公教育の内容・方法は専ら法律により定められ、教育行政機関も、法律の授権に基づき、広くこれらについて決定権限を有する。 3.妥当でない
問題文の主張は、法制上子どもの教育の内容を決定する権能が誰に帰属するとされているかについて、二つの対立する見解のうちの一つである。
そして判例は「二つの見解はいずれも極端かつ一方的であり、そのいずれをも全面的に採用することはできないと考える。」としている(旭川学力テスト事件:最大判昭和51年5月21日)。
したがって妥当でない。
一つ目の見解
「子どもの教育は、親を含む国民全体の共通関心事であり、公教育制度は、このような国民の期待と要求に応じて形成、実施されるものであって、・・・この国民全体の教育意思は、・・・国会の法律制定を通じて具体化されるべきものであるから、法律は、当然に、公教育における教育の内容及び方法についても包括的にこれを定めることができ、また、教育行政機関も、法律の授権に基づく限り、広くこれらの事項について決定権限を有する、と主張する。」
二つ目の見解
「子どもの教育は、憲法26条の保障する子どもの教育を受ける権利に対する責務として行われるべきもので、このような責務をになう者は、親を中心とする国民全体であり、公教育としての子どもの教育は、いわば親の教育義務の共同化ともいうべき性格をもつのであって、それ故にまた、教育基本法10条1項も、教育は、国民全体の信託の下に、これに対して直接に責任を負うように行われなければならないとしている」
「二つの見解はいずれも極端かつ一方的であり、そのいずれをも全面的に採用することはできないと考える(最大判昭和51年5月21日)。」
国民の教育を受ける権利を定める憲法規定の背後には、みずから学習することのできない子どもは、その学習要求を充足するための教育を自己に施すことを大人一般に対して要求する権利を有するとの観念が存在している。 4.妥当である
「憲法中教育そのものについて直接の定めをしている規定は憲法26条であるが、同条は、1項において、『すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。』と定め、2項において、『すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う。義務教育は、これを無償とする。』と定めている。」
「この規定は、福祉国家の理念に基づき、国が積極的に教育に関する諸施設を設けて国民の利用に供する責務を負うことを明らかにするとともに、子どもに対する基礎的教育である普通教育の絶対的必要性にかんがみ、親に対し、その子女に普通教育を受けさせる義務を課し、かつ、その費用を国において負担すべきことを宣言したものであるが、この規定の背後には、国民各自が、一個の人間として、また、一市民として、成長、発達し、自己の人格を完成、実現するために必要な学習をする固有の権利を有すること、特に、みずから学習することのできない子どもは、その学習要求を充足するための教育を自己に施すことを大人一般に対して要求する権利を有するとの観念が存在していると考えられる(最大判昭和51年5月21日)。」
普通教育では、児童生徒に十分な判断能力がなく、また、全国的に一定の教育水準を確保すべき強い要請があること等からすれば、教師に完全な教授の自由を認めることはとうてい許されない。 5.妥当である
「大学教育の場合には、学生が一応教授内容を批判する能力を備えていると考えられるのに対し、普通教育においては、児童生徒にこのような能力がなく、教師が児童生徒に対して強い影響力、支配力を有する」
「普通教育においては、子どもの側に学校や教師を選択する余地が乏しく、教育の機会均等をはかる上からも全国的に一定の水準を確保すべき強い要請があること等に思いをいたすときは、普通教育における教師に完全な教授の自由を認めることは、とうてい許されない(最判昭和51年5月21日)」