こんにちは。
「中の諸先輩」には程遠いですが、長くのたくっている立場からw。
結論から言うと、個人的には運営(ADさん)に「わかりやすくするため、学説に争いがある部分をカットしてシンプルにし、外国人には保証されていない、と言いきった方がいいのでは」と提案してみたいと思います。
ただ、「争いがある」という表現は別として、微妙な判例であることにどこかで触れてもいいんじゃないかな、と言う気持ちが残るのは、ケバブワゴンさんと同感です。
同じような海外渡航に関し、パスポート発給拒否の例として有名な「帆足計事件(最大判昭33・9・10)」も大事だと思うのですが、こちらの場合、「公共の福祉のために、とにかく国外に出てはダメ」という扱いだったわけです(国民(日本人)の人権を侵害し違憲ではないかという訴えだったわけですが、公共の福祉のための制限として合憲とされ、ただし異論がたくさんある、という状況です)。
それに対して、森川キャサリーン事件の場合、「外国人でも、国外に出るのは自由ですよ。ただし、戻ってきても日本に入れてあげません」ということで、「事実上日本から一時出国することが困難となった」という評価になるわけです。
ココが微妙で「事実上不可能」という意地悪な状態なワケです。海外旅行をしてもいいけど、旅行のあとで日本に入国できなくなるよ、というイヤらしい言い方であり、だからこそ「外国人は、海外旅行の自由はない」と言い切れないモヤモヤが残るわけです。ふつうならば、外国人でも在留許可の期間が残っていれば海外旅行してから日本に戻れるハズなんですが、「保障はされてない」と言われると怖いですよね。たぶん大丈夫だけど、大丈夫じゃないかもしれない、と言うわけですから。
「ふつうに考えるところの海外旅行の自由はあるけれど、なにか理由があれば必ず日本に入れるという”保障”まではないよ」という微妙さを踏まえた上で、学説での出題は考えなくていいと思っていますから、下記の判例の通り「我が国に在留する外国人は、憲法上、外国へ一時旅行する自由を保障されているものでない」と結論を覚える、でいいんじゃないでしょうか。
http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=65297以上、私見でした。